社会奉仕は「恩返し」のチャンス

社会奉仕は義務ではなく、恩返しのチャンスだと表現する人もいる。その方は、人々の救済は「人生の使命」と考えるようなったようだ。社会奉仕の経験を積むうちに、真の変化をもたらす「慈善家」としてのアイデンティティを確立した。その結果、自尊心が高まり、より誠実な人間になれただけでなく、惜しみなく与え、多くの人に経験談を伝え、やる気を引き出すことを行っているようだ。誠実かつ無私無欲の貢献の力を知るものだけが、真の達成感という、人生で最も奥の深い喜びを経験している。最上の喜びと充実感を味わっているという。

「貢献」とは“重荷”ではなく”チャンス”である

今まで自分のことだけに注いでいたエネルギーを、あなたの身の回り、地球、そして世界をよりよくすることに注ぐように方向転換した自分に気づけた時、今と違う景色が見えるだろう。それを実現するには、「無私の精神」で世の中のために尽くすことだ。どこかにいる成功者をみつけるよりも、自分自身がなればいいのだ。とはえい歴史に名を刻むような偉人になる必要はない。(なれるなら、なってもいいと思う)。

合言葉は「バランス」だ。完璧を求めるのでなく、バランスの取れた人生を送ることだ。多くの人は、白黒のはっきりした考え方をする。命懸けでボランティア活動にのめり込むか、他人のことには無関心で、即物的で成果至上主義の生き方をするか、2つに1つしかないと考えがちだ。ここに落とし穴がある。世の中は「与える者」と「受け取る者」のバランスで成り立っている。あなたの時間と資源とエネルギーの一部を恵まれない人たちのために注ぎつつ、同時に自分自身のためにも使うことを躊躇してはいけない。罪悪感を覚えることなく、楽しんでそうすることだ。世界中の問題をあなた一人で背負い込む必要はない。何もあきらめる必要がないとはわかれば、より多くの人が世の中のために貢献しようとするだろう。

「貢献」は重荷ではなくチャンスであり、喜びなのである。

・人はそれぞれのタイミングで「学ぶべきこと」を学ぶ

この世の不正にばかり注目して、つらい思いをしながら生きている人に出会うことが多い。一生、虹を見られない盲目の子どもが生まれてくるのはなぜ?何も悪いことをしていない人が犯罪の犠牲になるのはなぜ?

物事の目的と理由が、人間には理解できていない場合もある。それは、私たちの信念が試される時でもある。この世に生を享けた者はみな、それぞれのタイミングで、それぞれの学ぶべきことを学ぶのだ。ある経験をどうとらえるかは、見る人の感じ方次第である。以前は最悪だと思っていた経験が、実は最高の経験だったという場合もある。

経験が人をつくる。人は経験によって鍛えられ、人に対して思いやりを持てるようになり、自分の最終的な運命に向かって歩みを進められる。「学ぶための準備が整うと、どこからともなく師匠が姿を現わす」ということわざがあるそうだ。一方であなた自身が師匠の立場にあると思っていても、もしかしたら、一生懸命に教えている相手から学ぶべきことがあるかもしれない。

「生まれた瞬間に、私たちは死に始めていることを教えてほしかった。そうすれば、毎日の1秒1秒を最大限に生きることができるだろう。行動しろ!そう私は言いたい。やりたいことがあるなら、今やろう。明日の数は限られている」

マイケル・ランドン