人生のフラストレーションを増やさないためには?

社会のルール(法的なもの)

スポーツや遊びでのルール(法以外に、何かをする際のルール)

自分のルール(個人的なもの)

いろんなルールがある。

法に関わる以外のことで、まとる。

たとえば、カードゲーム。

トランプを使った大富豪もしくは、

大貧民と言うカードゲームがある。

大学時代にいろんな地方から集まった友人で、

基本ルールを確認し合い、

大枠は知っているので、いざゲームを始める。

罰ゲームをありの方が、盛り上がるので、

罰ゲームを設定する。

いざ勝負。

カードの枚数が減り、

アガル人がではじめると、

そのアガリ方はだめだという人がでる。

結論からいうと、

地方ルールのような、

その人がプレイしてきた環境などで、

把握しているルールが違うことで言い合いになる。

基本ルールと特殊ルール、

これを共有していないことが原因だ。

人間関係のストレスの9割は何?

人付き合いの中で経験したことはあるだろうか?

あなたはルールに従ってプレーしているのに、

突然誰かが、

「そう、そうなんだけど、この場合は例外だ」

と言い出す場面に。

その時、あなたは頭に血が上がる。

「ルール」に従って生きているのに、

それを「崩された時の何とも言えない喪失感、失望感、いら立ち」

が込み上げてくる経験をしたことがあるだろうか?

誰だって、自分ルールが正しいと思っている。

とくに腹が立つのは、

相手がルールをでっち上げたり、

適当に変えたりした時だ。

そして、このようなやりとりは、

人づき合いにおいてはつきものだ。

矛盾することわざ

石橋を叩いて渡る⇔ためらう者は機会を逃す

船頭多くして船山に上る⇔三人よれば文殊の知恵

会えないほど思いは募る⇔去る者は日々に疎し

鉄は熱いうちに打て⇔学ぶのに遅すぎることはない

隣の芝生は青い⇔我が家に勝る所なし

一銭の節約は一銭の儲け⇔お金はあの世に持っていけない

自分が思うに、

後付けのような気がする。

結果が良ければ、名言になるし、

結果が悪ければ、ただの戯言。

結局、自分の人生。

自分が満足できるか、出来ないか。

自分の選択に責任を持てるか、

他人のせいにしないか。

それが重要だと思う。

これは個人的な意見。

本題の共有しているルールが違うことでどうなるかという話題に戻る。

実は、「信念や考え」と「ルール」の不一致という矛盾は、

多くのフラストレーションを生み出す。

男女関係でも、

「君を愛しているけど、歯磨き後、

口を漱ぐのは1回で終わらせず、数回しないのは理解できない」

とか、「愛しているけど、数年で冷める」ということがある。

些細なことに思えるかもしれないが、

実は深刻な結果を招きかねない。

このような状況に対応する最善の方法は、

自分ルールが現実に即していないと理解することだ。

自分が勝手につくったに過ぎない、

そのルールを活用し、

信頼していたとしても、

「最高」で「正しい」ということにはならない。

ルールは人間関係を改善するものであって、

破壊するものであってはならない。

ルールがよい人間関係を築くための妨げになる場合は、

「人間関係とルールと、どちらがより重要か」と自問することだ。

たとえば、恋愛において過去に信頼を裏切られた経験があると、

次に他の人と親密な関係を築くのを恐れるようになる。

「親しくなり過ぎると、傷つく」というルールを設定してしまうのだ。

しかし同時に、

最優先すべき価値は愛で、

そのルールは

「愛を感じるとは、誰かと親密で気心の知れた関係になること」

となっている。

ここに大きな矛盾が生じる。

これを解決するには、

まず、この2つのルールが全く相容れないものだと理解すること。

次に「自分にとって役に立たないルール」と「苦痛」を結びつけ、

自分の必要や目的にかなうルールと入れ替えればよい。

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