「腹が立つ」のは誰かのせいではない

社会学に「自文化中心主義」という考え方がある。

要するに、人は自分が属する文化のルール、価値観、信念だけが正しい、

意味があると考えやすいということだ。

これは極めて発展性のない姿勢である。

あなたの周りにいる人はそれぞれ、

あんたと違うルールと価値観を持っていて、

どちらがいい、悪いということはない。

問題は、そのルールが正しいか、

間違っているかではなく、

「自分を後押ししてくれる」のか、

それとも「やる気に水を差すか」なのである。

最近、誰かに腹を立てたことはありますか?

原因はその人の存在そのものにあるのか、

それともその人の言ったこと、

したこと、

しなかったことにあるのか。

あるいは、その人があなたのルールに反したあらか。

つまり、他の人間との間で「感情の乱れ」が生じる場合、

その背景にはルールの混乱がある。

たとえば、「もし私に敬意を払ってくれる人は、決して私に対して声を荒げない」

というルールを設定している人を誰かがを怒鳴りつけたら、

その人は相手が自分に敬意を払っていないと思うだろう。

そして、敬意を払われていないことに対して、怒り出すに違いない。

しかし相手のルールでは、

「相手を尊重するとは、私自身の感情をすべて

ー良いも悪いも区別なくー

包み隠さず相手に示すことである」

というものだったとすれば、

この二人の間に衝突が生じるのは当然のなりゆきだ。

その「気遣い」は相手の神経を逆なでしているかもしれない

お互い相手を尊敬し、

気遣っている。

それなのに、

一人は「自分の正直な気持ち」を表現することが大切だと考え、

もう一人は

「もし何か望ましいことを言えないのなら、

何も言わない。尊敬する相手に対して声を荒げてはいけない。

もし誰かに怒鳴りつけられたら、自尊心を守るために、

立ちがって、部屋を出ていくことが大切だ」と考えているとする。

これではお互いのルールが異なるため、

正反対の行動につながり、

相手の助けになるどころか、

むしろ敵対的と受け取られる。

「他人を責める」より「理性的な言葉がけ」を、

つまり誰かに対して腹が立ったり、

気が動転したりするのは、

相手の行動や態度のせいではなく、

自分ルールのせいなのだ。

これを知っておけば、

他人を責めたり批難したりすることもなくなるだろう。

神経を逆なでされたと思った時、

「私は感情的に反応しているだけなのか、

それとも理性的に対処しているのか」と自問自答すれば、

動揺はすぐに収まるだろう。

その上で、目の前にいる相手と言葉を交わすのだ。

お互いに相手が期待していることを把握しあい、

そのあと、取引をする。

このように確認し合うことが大切。

仕事でもプライベートでも、

互いのルールを明確にし、

お互いに納得して付き合えば、

人間関係は劇的に改善する。

そもそもルールを知らずに、

どうやってゲームに勝つことができないのだから。

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